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ふたたび、釣り針の聖地へ

午後2時半に電話し、4時前にはその釣り針屋さんに

おりました。

 

その会社は、私にとって、あこがれの会社でした。

 

 

20数年前、オリジナルフックを作ろうと考えた私は、

東条にある釣り針屋さんをすべて訪問しました。

 

今のようにインターネットが普及していない頃です。

「釣り針」と書かれた看板を見つけては飛び込んでいきました。

 

地味な方法でしたが多くのことを学びました。

 

釣鈎図譜 (1978年)

 

ルアー用フックを作る業者が少ないこと。

仕掛けだけを作る会社もあること。

 

釣り針の完成品を作るのではなく

一部の作業を請け負う会社なども多くありました。

 

先ほど、すべての会社と書きましたが正直に言いますと

一社、行かなかったのです。

 

そのメーカーは海外への輸出が専門であると聞いたこと。

会社の前までは、行ったのですが、建屋が大きく、しり込みしたのが理由です。

 

釣針 (1976年) (ものと人間の文化史)

 

20年前はすべて飛び込み訪問でした。

門前払いもありましたし、事務所に入って「ゴメンクダサイ」と

 

いくら叫んでも誰も出てこないところもありました。

今回は作戦をたてました。

 

すぐに近くに嫁さん方の親戚がありました。

おじさんに聞くと、よく知っているで、とのお言葉。

 

おじさんから電話してもらったのです。

 

釣針史料集成 

 

訪問してしばらく、待たされました。

作業着で現れた社長の手は、油でしょうか?

 

爪の周りが黒くなっておりました。

現場社業をとめて出てこられたのかな、と

 

思うと、なんとしてもお付き合いしたい、と

強烈に思いました。

 

火入れ前の状態の釣り針

 

18歳で創業者である父の会社に入り、今年で

40年だとか。

 

幸運にも、共通の友人が何人もいて話が弾みました。

おかげで気軽に、釣り針に関しての質問が出来ました。

 

釣り針つくりは、知ったつもりになっていたのですが、

初めて聞く話ばかり。これは驚きました。

 

開発に関係する苦労話などを聞いていると、釣り針つくりの

難しさと深さを感じました。

 

長い歴史を誇る地域であるのに、いまだにコントロールできない部分があって、

それをあきらめるのではなく、経験と工夫で問題のないレベルに収めようと全力を

 

尽くされている。素晴らしいと思いました。

何としてでもこの会社で釣り針を作ろう、と勝手に決めました。

 

ノーズマウスを作ってくださっていた会社から、作れなくなった、と

聞いたあと、いろいろと考えました。

 

予算的に無理をしてでも、有名なメーカーで作ろうか?

また、技術的に問題の無くなった中国でもいいかな?と。

 

でも、そうしなかったのでは今日のような会話をしたかったから。

または、し続けたい、からですね。

 

有名メーカーで作れば、一回の取引で一生分を作らなければならない。

会話は一回か、数回で終わってしまう。

 

中国で作れば会話もできないし、作っている人と交流することは不可能である。

そういうのは、私の、ものつくりではない。

 

私は現場を訪れ、現場の人の話を聞き、そこで得た知識や感動を

お客様と共有したいのですね。

 

釣り針は興味を持たなければ、ルアーについている単なる付属物かもしれません。

でも、長い年月のトライアンドエラーと多くの職人さんたちの手によって作り上げられて

 

いるのです。

形は同じように見える釣り針だって現場の職人さんは、焼き入れ方法を工夫したり

 

メッキのかけ方を工夫して少しでも特徴を出そうと頑張っておられます。

どうせなら、そういうストーリーを知って使っていただきたいと思うのです。

 

そのために私自身が勉強し、経験を積んでいこうと思います。

この釣り針メーカーには、通うことになりそうです。

 

Sara Bareilles - Gravity

 

 

 

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