技術のレベルを下げたぶん、いのちのアンテナは逆に感度を増したか?
樹の花にて―装幀家の余白 (白水Uブックス―エッセイの小径)
SPレコードを古い蓄音機で聴くコンサートへ行こうと誘われた装幀家。
1926年製の蓄音機から流れてくる歌声が体の隅まで沁み込む。
幼い頃、家の応接室でこっそり聴くうち奇妙な体感が「ツーン」と走り抜けた時と同じく、
この日会場を後にする時も、遠くで蝉の声がした。
技術のレベルを下げたぶん、いのちのアンテナは逆に感度を増したか。
菊池信義『樹の花にて』から。
今日もまた、読んでもらえそうもないタイトルになってしまいました。
そう、ブログ用の写真を用意できなかったのですね。
で、朝日新聞で見つけた文章を題材にしました。
技術のレベルを下げた方が楽しめる世界があるという話だと
思うのですが、これは私たちの世界観とつながりますよね。
数値的に優れた道具って、すごいと思うけど、
その数値がどこまで私たちの喜びにつながっているか、
よくわからない。
私は、シンプルな道具との付き合い方の中で
喜びを見つけ出したい。
メーカーに与えられるものではなく、
一緒に探し出すことが面白い。
進歩が、即、満足につながるわけではない。